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福島からの宿題 ~帰還困難区域を訪れて答えを探そう~(2016/1/7)
福島県農民連のみなさんから「福島には映像ではわからない空気感がある」「福島に来て感じてほしい」と声をかけられた。短時間の訪問で福島の皆さんのおもいを知ることは困難かもしれないが、原発の爆発から5年がたとうとしている福島の帰還困難地域を訪問して感じたことを書き留めた。
2015/12/29 【青森】青森県有志による、ふくしま帰還困難区域視察同行取材
(参加・大竹進氏・古村一雄青森県議会議員など)(動画)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/280462
2015年12月28日夜、仕事納めのあと新幹線に飛び乗って福島に向かった。翌29日、農民連の根本さんと服部さんがレンタカーを借りて我々をホテルに迎えにきてくれた。その車に乗って国道114号線で川俣町に向う。運転席の隣に線量計を設置し連続して測定を開始し、今日一日の被爆線量を測定するための線量計もセットした。
車の中の空間線量は途中のトンネルに入る前は急に上昇、トンネル内は急激に低下、トンネルを出ると徐々に高くなるなど場所によって線量計は大きく動いた。(実効性のない避難計画を作るより、本気で地下シェルターを考えるべきかもしれない)
「今日の訪問で、福島の空気感を肌で感じてほしい」「自分たちが当事者になったらどうなるか、想像力を働かしてほしい」「私たち(農民連)も避難地域を繰り返し訪れないと忘れてしまう」という根本さんの言葉で避難地域訪問が始まった。
「福島の震災関連死は2,000人を超えた、高齢者の帰還が始まっているが子ども達は戻れない、帰還したあと自死する人もいる。」
福島県の自殺者は2015年1月から11月で376人、震災関連自殺者は、昨年の15人をこえて19人になっている。
■川俣町
福島市内は雪がちらつく程度だったが、川俣町に入って路面は白く雪に覆われていた。山木屋地区は標高400mで気温が低く冷害に見舞われた歴史もある。その山木屋地区は避難指示解除準備区域と居住制限区域に指定され、戻ることが出来ないが、避難指示解除準備区域では2015年8月から「準備宿泊」が開始になっている。
「準備宿泊」とは奇妙な表現だが、自宅に帰って泊まって、高線量の放射線になれるための宿泊ということらしい。高線量であっても肉体的には何も感じないが、精神的に高線量になれることが目的なのかもしれないと感じた。
■浪江町水境
川俣町から浪江町に入った。浪江町は線量が高く、帰還困難、居住制限地域となっている。この地区に立ち入るためには、浪江町長の許可が必要だ。前もって立ち入り通行許可を申請し、身分証明書を提示して初めて水境のゲートから立ち入ることが許される。車内の空間線量計も1μSv/hrを超えている。
ゲートをくぐると、誰も住んでいない住宅が続き、庭の草は伸び放題だ。静まり返って音がない。時々カラスの鳴き声だけが響いていた。この異様な光景は、その場に立ってみないと感じることは出来ないと思った。これが福島の空気感<その1>だった。
■浪江町津島
駐車場の草が伸び放題になっている「つしま診療所」も訪れた。あるじも患者さんもいない診療所の郵便ポストにはいくつかの郵便物がそのままになっていた。柿の木には何事もなかったかのように柿が色づいていた。津島でも時が止まったままになっている。
農民連の会員のお宅にも立ち寄ったが、2階の窓からは干された洗濯物がそのままになっているのが見えた。自宅前でも10μSv/hrを超えている。畜舎の雨水が落ちる草むらでは14μSv/hr、雨樋の付近では30μSv/hrを示した。
国道の周辺は草が刈られてピンクのリボンがつけられていた。これによって少し線量が下がっているのかもしれないが、国道から少し入ると線量は一気に高くなっている。2011年3月下旬には渓流の近くでは100μSv/hrだったという。
津島地区の北に線量が高く、帰還困難地区の赤宇木(あこうぎ)地区がある。ここは満州からの引揚者が多く住んでいた。「原発は貧しい地域をねらい、今度はそこに住めなくしてしまった」。
除染が終わった田んぼには砂が撒かれている。除染されていない田には柳の木が密生し、たった4年で大きく変わっていた。野生の猿とも出会ったが、人間が住まなくなったことで、森も山も大きく変わっているという。
■浪江町加倉スクリーニングセンター
立ち入り制限地区を出ると、加倉スクリーニングセンターで靴やタイヤに付着した放射性物質のチェックを受け、「許容範囲内です」の判定だった。検査を行っているのは東電の社員らしい。
■浪江町請戸
続いて、福島第一原発から7km 津波で多くの人が被災し、原発の爆発で救助も断念せざるを得なかった請戸(うけと)地区にむかった。
慰霊のためのお花が供えられている近くでは、年末にもかかわらず重機が大きな音を立てて動いていた。その隣には、被災した請戸小学校が津波で破壊されたままの姿で残り、時計は15時39分を示して止まっていた。児童は全員山に逃げて一人の犠牲者も出なかったそうだ。
ここから、福島第一原発の排気塔と建屋を一部みることが出来た。この地区の線量は高くない。福島市と同じ程度の線量だが、原発が収束していない中で避難解除のめども立たず請戸地区の復興は進んでいない。
福島の問題は放射線量の問題の他に、未だに収束させることが出来ない原発そのものの問題があることがわかる。請戸小学校で感じたもの、それが福島の空気感<その2>であった。
■南相馬市
請戸小学校をあとに、国道6号線を北上した。南相馬市は原発から20km圏内が避難指示解除準備区域に指定され、人は住んでいない。それが、20kmを超えたところからガソリンスタンドに車が止まり、コンビニも開店している。20kmという見えない線によって「赤と青」に分けられていた。放射線量は、見えない線で変化することはなく、小高地区では0.041μSv/hrと福島市より低い線量を示していた。
この見えない線によって補償が大きく変わる。経済的な補償の違いが人々の心に放射能以上の大きな問題を投げかけているという。
20kmという線の他に、自治体の境界線によっても補償は大きく変わる。この見えない線が福島の空気感<その3>だった。通り過ぎたラーメンショップの主人は、最近自死してしまったという。
■基準の変更 20mSv/年は撤回せよ!
他の被災地と違って、福島は同じ地域の人でも散り散りバラバラに避難している。「放射能に対しては家族の中でも意見が違い、議論しても解決できない問題が横たわっている。多くの福島県民は疲れているが、今が超えなければ行けない峠にさしかかっている。」
これまでの基準1mSv/年間を20mSv/年間に引き上げ、避難勧奨地点の解除によって補償範囲を狭くすることで、国と東電は補償金額を減らそうとしている。20mSv基準撤回の訴訟が始まり、支援の会が結成され全国からの支援を呼びかけている。
南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟支援の会
http://minamisouma.blogspot.jp/
https://www.facebook.com/minamis20wg
■希望の牧場ふくしま
南相馬市の道の駅で昼食をとり、もう一度南下して「希望の牧場ふくしま」に向かった。牧場の入り口の奥は進入禁止のゲートが設置されていたが牧場への道は制限がなかった。牧場には、すでに東京から訪ずれた人たちがいて、吉沢正巳さんは原発が爆発したときの様子を話していた。
「原発によって希望を奪われた、未来をつぶされた」「自分は360頭の牛をかう選択をしたが、どの選択も正しい」「除染で出た土壌を黒いビニール袋につめたコンテナ(フレコンバッグ)を山のように積んでセシウム古墳を作っている」「飯館村は村民一人あたり1億円の除染費用をかけ、子どもを人質に取ろうとしている」。
■飯館村
希望の牧場をあとに飯館村にむかった。車中の線量計も高くなったり下がったりを繰り返し、4μSv/hrを示すところもあった。飯館村役場に到着、役場前に設置されている線量計は0.37μSv/hrを示していた。この数値が飯館村の線量を代表するものではないことは連続して線量計を見ていればすぐ理解できる。役場の線量は飯館村の最低値なのかもしれない。
村には人影がなかったが、役場の隣の老人保健施設は今も高齢者が生活していた。職員も居住制限区域以外から通勤しているという。近くには、職員のための「村営コンビニ」が営業していた。
村民6,000人の村で、2014年だけで600億円かけて除染作業が進行中という。飯館村の田んぼは、いたるところで古墳のように積まれた黒いフレコンバッグで埋まっていた。
これを今後どこに運ぶのだろうか?バッグは一つで1トンあり、20トントラックで運んだとして何台必要なのか?さらに、あと数年もすれば袋がさけてしまうという。気が遠くなるような光景が飯館村には広がっている。
空間線量がジェットコースターのように変化するところで、子どもが暮らせる線量(年間1mSv以下)まで低下させることが出来るのだろうか?子どもも20mSvで我慢するように強制するための600億円なのか?
これだけお金をかけることが出来るなら、村民に除染費用の全額を配って移住したいという村民もいるという。除染を進める村長と移住したい村民、どのように決めるべきなのか、大きな宿題が出されている。
■被曝線量は2.9μSvから5.1μSv
飯館村から福島市に戻った。帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域を6時間で回ったが、この間の被爆線量は私の線量計(日立アロカマイドーズミニ)で2.9μSvを示した。青森市のバックグラウンドを測定すると24時間で1.1μSv程度だが、その2.5倍程度であった。また、医療現場では診断や治療のためにX線を使う。X線透視を使った神経根ブロック1回の散乱線による医師の被曝量は5から8μSvを示す。短時間の被ばく線量は予想より低かったが、24時間、365日住み続ける時は軽く1mSv/年間は超えてしまう。ちなみに他の2つの器械で測定した線量は6時間で4.7と5.1μSvだった。
高線量の地域を訪問してみると、線量計が示す数値が少々高くてもあまり気にならなくなった自分に気づいた。地域全体が高線量という訳ではなくホットスポットがたくさん存在している中で「コールドスポット」(低線量の地点)も混在していることも新しい発見だった。
■農民連の取り組み
今回の訪問で、放射線量も問題だが、それ以上にいくつもの問題が重なり合っている状況を知ることが出来た。しかし、それらの問題も全て原発に由来する問題だ。ドイツが脱原発に舵を切ったが、主役は倫理委員会だった。福島の問題に答えを出すときのヒントは「倫理」かもしれない。
農民連の直売所では、自前の研究室を設置し農産物の放射能を測定している。検出限界は10Bq/kgで最近の農産物で10Bq以上を示す商品はない。
福島の農産物を食べるか、食べないか、いろいろな意見がある。福島のコメは全量検査が行われ、農民連は直売所で売られている農産物は自前の検査も行っている。
一方、体内への蓄積については、ホールボディーカウンターによる検査では検出されなくなっているが、臓器を取り出して検査しないと正確なことはわからない。検出限界の数値をどのように考えるか、体内への蓄積をどのように考えるのか、結論の出ない議論は続く。今は、「どの選択をしても正しい」と思う。
その議論は続けるとして、福島の農業者が東電と国と闘っていることを理解し、全力で支援したいと決意を新たにして、帰還困難区域訪問を終えた。
原発事故によって多くの宿題が出されたが、解答用紙は白紙のままだ。全国から帰還困難地域を訪れて知恵を絞って答えを探すことを訴えたい。2016年が希望と未来を取り戻す年となることを願っている。
■<Additional time>国策を拒んだ村長
原発と核燃サイクルは国策として進められてきた。
年末12月30日にNHKラジオ第1で特集番組 戦後70年 国策「満蒙開拓」を拒んだ村長を放送していた。
長野県南部の大下条村(現・阿南町)の佐々木忠綱村長は満州を訪れて、満蒙開拓という国策が「開拓ではなく徴兵」であり間違っていると確信したとレポートされていた。政治や行政にかかわっている人は、福島を訪問して「間違った宣伝」を見抜いて国策を拒んだ佐々木村長に学ぶことが必要ではないだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=RgHq_r7pneI&feature=youtu.be